「いい家」をつくる会
コラム
2012年12月21日22時06分
会心の作品


写真は所沢市松が丘に建つS邸のファサードと庭の様子である。
建物はコンクリート打ちっ放しに見えるが木造軸組みであり、エントランスは出入りという機能だけに特化され、極端に見栄えを嫌ったとも言える。
この幾何学的なデザインは、Sさんの心象にあるものをマツミの設計士後藤紀伍が図面化したもので、マツミの家造りがかつて経験したことがない斬新さを極めたものである。
冒険し過ぎではないのか?
私は何度か後藤に懐疑をぶつけたことがあった。しかし、彼は屈託なく「ご夫妻ともにデザインを楽しまれています」と答えた。
「芸術は必要にのみ従う」と言ったのはオーストリアの建築家オットー・ワグナーであるが、弟子のアドルフ・ロースは「装飾は罪悪である」と言った。
イギリス人ジョン・ラスキンは「知的意味なくしてはただの一個の装飾も施されるべきではない」と主張した。
私は、S邸を訪ねるたびに三人の先人の言葉を思い浮かべる。そして、あの近代建築の巨匠ル・コルビジェが訪ねてきたら、なんと評するだろうかと想像を巡らす。
日本人の一人の医師が、ロースの哲学をロース以上に実践したことに驚嘆するのではなかろうか。
造園が完成したと聞いて、昨日拝見にお邪魔した。30メートルはある長いアプローチを入っていくと、「えっ?!」と驚くオブジェが目に飛び込んできた。大小のコンクリートの箱のような物体が、一見すると無造作に配置されている。
植栽は南側の境界沿いに植えられたうさん竹とオブジェの前のとくさだけ。
「これはなんだろう?」
訪れる人は、しばし目線をさまよわせた後で、賞賛の言葉に戸惑うに違いない。
実は、私もそうだった。
出迎えてくれたご夫妻に向かって、「うわーっ、これは見事ですね」と当たり障りのない感嘆詞を発してから、続けようとした言葉を飲み込んだ。
「Sさんの建築思想が造園にも見事に反映されていますね」
そんな賞賛は、皮相すぎることに気付かされたからだ。
前面の公共用地に立っているケヤキや松の大木と、右側に見える「トトロの森」というめったに見られない借景を主役にするとしたら、庭には何も無いのが一番だ。しかし、それでは様にならない。試行錯誤を重ね、悩み抜いた末に天啓のように思いついたのがこのオブジェなのではなかろうか。
これ以上も、これ以下もないように自分の庭を脇役にしてみると、景色は一段とスケールを広げ、味わいを深めることに気付く。
枯葉がかさかさとオブシェに降り注ぎ、足元に戯れている。その光景は時間の経過とともに様々に変化し、四季折々に表情を変えるだろう。表面にうさん竹の影が揺らめくと、まるでオブジェたちが交わす会話が聞こえてくるような錯覚を覚えた。
「よくぞ考えられましたね」
私は、今度は心底から感心して言った。ご夫妻ともども、ちょっとはにかんだ笑顔で頷かれた。
ラスキンは、作品の出来不出来の判定を製作者が幸福と感じるかどうかで判定したそうだ。Sさんご夫妻の幸せそうな表情から察するに、この造園もまた建物と同様、いやそれ以上にSさんにとって会心の作品であることは間違いない。
うさん竹は、静岡県にある富士竹類植物園から取り寄せたとのこと。
http://fujibamboogarden.com/light/top.htm
松井 修三
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