「いい家」をつくる会 会員コラム

2016年9月7日09時16分

「あたらしい家づくりの教科書」のウソ その2

 これからつくる家は、国が定める断熱基準以上の性能を確保して造らなければならない。
 基準のレベルは低すぎる、これでは住宅後進国並みだと声高に叫ぶ学者や建築家がいる。
 基準は、それぞれの国が、それぞれの気候風土やエネルギー事情を考慮して定めるのであって、他国と比較して決めるべきものではない。たしかにこれまでは、国の考え方に遅れがあったのは事実だ。しかし、2020年には先進国に追いつき、追い越す域に到達するのは確実だ。
 それでも、ドイツの「パッシブハウス」基準と比べたらレベルが低すぎるとの主張があるが、ドイツとでは気候と文化と皮膚感覚がまるで違うのだから、日本基準をベースにする方が住み心地の良い家を造りやすい。住み心地を悪くしてまで、そんなに迎合する必要はない。
 衣食と文化では、世界のあこがれを得るまでになったこの国の「住」を、ドイツの基準に合わせるのは、すでに世界に誇れる住み心地を創出したものにとっては実に愚かなことだと思う。

 高性能化する目的は何か?
 (1)  省エネ(燃費の削減)すなわち冷暖房負荷を減らすため。
 (2)  二酸化炭素の排出削減のため。
 (3) 健康維持増進に役立つ住み心地の向上のため。

 (1)と(2)を達成したからといって、(3)に役立つとは限らない。(1)と(2)は、計算上・設計上の数値の問題だが、(3)は実際に住んでからの価値の問題である。この価値を高めるには、換気と冷暖房の方法を究めることが絶対に必要である。

 この教科書に登場する建築士たちは、そこが分かっていないようだ。「パッシブハウス」と同様、(1)の暖房負荷の極小化ばかり重要視している。

 第2章「美しく、かっこいい家をつくろう」に入ると、「気鋭の建築家」3人が、イラストと写真を多用して自作を自慢し合うのだが、「?」だらけになった。
 ここに登場する建築家は、高性能住宅は「暖かければいい」と思い込んでいるようだ。

 伊礼 智さんの「つむぐいえ」は、薪ストーブ1台で家全体(2階建て50.89坪)が暖まると述べているが、階段の下に「床下エアコン」が設置されている。
 ところで、伊礼さんの作品だけは冷暖房負荷の説明がないのはどういうわけなのだろうか?
 それはともかくとし、冷房はどうやっているのか?
 「くらしこの家」「つむぐ家」ともに間取からすると、床下エアコン以外にも最低3台必要になると思う。

 「性能という住まいの基本価値と、自然との一体感や楽しい場所といった感性的な価値を融合、『性能の先の心地よさ』を実現しています」とのことだが、「性能の先の心地よさ」とはわかりづらい。いかなるものなのか?

 竹内昌義さんは「久木の家」について、「冷暖房器具はエアコン1台のみ、2016年冬の稼働はわずか10日だったそう。曇りが続かない限り、暖房は不要。暑い時は窓の開け閉めで快適な状態を保ち、風が気持ちいいと開きます」と書いている。
 エアコンは何台をどこに付けているのかさっぱりわからない。「暑い時は窓を開けて快適な状態にする」のは、2階のリビングも1階の寝室も同じなのだろうか?
 であるとしたら、風が気持ちよくない場合は、暑さを我慢することになると書くべきではなかったか?

 どんなに高性能であっても、猛暑日の日に窓を閉め、第三種換気を使っているとすると、二階の南に面する部屋の温度は30度前後にはなってしまうはずだ。
 「暑い時は窓の開け閉めで快適な状態を保ち、風が気持ちいいと開きます」という暮らしは30年前のものであって、「あたらしい家づくりの教科書」が推奨するのはいかがなものか?
 「暑い時は窓の開け閉めで」と気軽に言うが、1間幅のトリプルガラスを装備した窓は、重量があるのでアルミルミサッシのように簡単に操作できない。高齢者には無理だ。

 「HOUSE M」についての説明。
 「真ん中に大きな吹き抜けがあり、冬は寒そうな印象がありますがUA値0.20の高性能を実現、外と中の熱の出入りがないので、家の中全部が同じ温度になります。だからものすごく快適。そのうえ、ゆるやかにひと続きになった空間は、家族のだんらんを生み出します。温まりすぎた空気は高い場所にある窓から抜け、その流れはとても気持ちのいいそよ風になります」。

 「燃費が良いこの家では、薪がなかなかなくなりません」とのことだが、夏の暮らしについては一言もない。また、自然の風には歓迎できるものばかりあるわけではない。不都合な風の方がはるかに多い。窓を開けることは防犯上不安でならないという人も決して少なくない。
 伊礼さんもそうだが、窓を開けて外界とつながる暮らしの提案は、美辞麗句を用いずにそのデメリットにつて、多角的に語るのは建築家の義務である。

 ドイツで建築士の資格を取ったという森 みわさんが、富山県に建てた「前沢パッシブハウス」について書いている。
 「42坪の家を6畳用のエアコン1台で冷暖房しています。環境大国のドイツで一番厳しい住宅の省エネ基準『パッシブハウス』の認定を受けました」。

 エアコンは床下に設置されている。
 年間暖房負荷が15kWh/m2という超高断熱のつくりだから、暖房は心配ないとしても冷房はどうするのか?

 高性能な家づくりに目覚めると、実際に住んで実証したわけでもないのに「1台のエアコンで冷暖房できます」と、つい言いたくなるものだ。
 たいがいのお客様の感受性は、30年以上前のレベルであり、東京近辺で、室温5度、温度差10度の暮らしに慣れ切っているので、最初の冬は、暖かさに感動してくださる。夏は、暑くても扇風機で我慢してくださる。

 ところが感受性は、1シーズンが過ぎると驚くばかりに敏感になるものだ。
 15度以下、28度以上の寒さ暑さは我慢してもらえなくなり、クレームになる。冷暖房負荷計算書を持ち出したとしても、数値は説得にまるっきり役立たない。
 寒い場合は衣服で調整できるが、暑い場合は調整が難しい。
 窓を開けて、期待するような風が入ってくればいいが、湿気を帯びた「モワーッ」とする風と、騒音・排ガス・土埃も入ってくるとなったら窓を閉めざるを得ない。
 このとき、部屋にエアコンがないことに感謝してくださるお客様がいるだろうか?

 今年7月、エアコンがないドイツ・フランクフルトのホテルに宿泊した。
 窓を開けても風が入ってこない。備え付けの扇風機を回し、30度の室温を我慢していた。
 翌日、30年間ドイツで暮らしているというガイドさんに嘆いたら、「こんな暑い日は、せいぜい3日しかないからエアコンを設置する人はいない。扇風機も見たことがない」と笑っていた。

 そのドイツと同じ基準の家を建てたら、日本の夏の暮らしはどうなるのか?
 家の大きさにもよるが暖房は、床下に設置したエアコン1台でも可能であろう。
 しかし、冷房はそうはいかない。2階の各部屋にも必要だ。
 もし、床下エアコンだけで家中が涼しくなると言うとしたら、ウソになる。

 それとも教科書には書かれていないけれど、「涼温な家」のように、「センターダクト換気」の働きで、冷たい空気を上昇させ、暖かい空気を下降させ、1台のエアコンで家中を「涼温房」にできる特別な仕組みが用意されているのだろうか?

 最後に、この教科書をまとめ上げた新建新聞社に尋ねたい。
 気鋭の建築家と紹介された3人は、だれも「換気」については一言も触れていない。家の性能として、「Q値」・「UA値」・「C値」・「冷暖房負荷」を表示しているが、住み心地に何よりも影響する「換気」と「冷暖房」の方法」を表示しない。
 その理由は何なのか?

                       松井 修三

2016年9月4日15時44分

「あたらしい家づくりの教科書」のウソ

 「あたらしい家づくりの教科書」(新建新聞社)を読んだ。
 家づくりの最前線で活躍する5人のエキスパートがやさしく解説してくれるというので、どこが新しくなったのかを勉強すべく早速購入した。
 トップバッターは「エコハウスのウソ」(日経BP)で、一躍名の知られた東京大学准教授の前 真之さん。

 <住まいのガッカリ度ナンバーワンは、温熱環境。つまり、暑さ・寒さに関すること。残念ながら日本では、家づくりのプロでさえ誤った対策をすることが多いのです。でもご安心を、私たちの体のしくみを紐解けば意外と簡単。「温熱」を制すれば家づくりを制す。あたらしい家づくりの授業、まずはここからはじめましょう。>

 さすが学者さん。歯切れが良いスタートだった。

 だが、「温熱を制すれば家づくりを制す」とは、乱暴な決めつけだ。「換気」を忘れている。温熱と換気を一対として扱はない限り、住み心地の良い家は造れない。

 途中の論理は、「エコハウスのウソ」の踏襲でごく当たり前の展開なのだが、締めがいただけない。

 <こうした高断熱の家では壁や窓の温度が適温なので、放射による熱ロスが適度に保たれています。よって対流で無理に補う必要がないため、熱い空気も冷たい空気も必要ないのです。>

 この決めつけは、ウソと批判されても仕方がなかろう。

 冬に断熱強化だけで窓や壁からの放射熱が適温になるとしたら、夏は逆に暑さで参ってしまう。玄関を入った瞬間には、洞窟に入ったようにひんやりと感じられるのは確かだが、やがて生活の排熱と臭いが気になり、適度にエアコンと換気を用いないことには不快になる。
 体調によっては、熱いお茶一杯を飲んでも汗が噴き出す時もあるものだ。

 パッシブハウス基準で建てられたフランクフルト郊外に建つ家(エアコンがない)が、今年7月、外気温27度・湿度70%のときに、ほとんどの家の窓が目いっぱい開けられていた。
 つまり、窓からの風(対流)なくしては暑くてたまらないということだったのだ。
 エアコンにしろ、自然の風にしろ、対流に頼らずに放射熱で家中快適が得られると言うとしたら、それはウソになる。

 「適温」は冬は長持ちするが、夏は、料理・食事・入浴などによって簡単に消失してしまう。窓から多少太陽熱が入っても暑くなってしまうので、天気の良い日はシャッターを下ろし、カーテンも閉めて遮熱対策の徹底を強いられる。
 そうしたとしても、いったん失われた「適温」を復元するにはエアコンが必要だ。
 「冷たい空気」、つまり「対流」に頼らざるを得ない。

 続きを読もう。
 <こうした高断熱住宅が実現する温熱環境にいると「暖かい」も「涼しい」も感じることがなくなります。体も心もリラックスしたまま、ずっとい続けたいと感じる空間になるのです。毎日いても飽きることのない、さながら毎日食べているおコメのようなものともいえるでしょうか。>
 「おコメ」とは、私が言っている「住み心地」のことだと思う。
 「暖かい」も「涼しい」も感じることのなく、空気が気持ち良いのであれば、まさに住み心地の理想状態だ。それには、温熱だけではなく、換気と冷暖房の組み合わせが必須だ。
 コメが嫌なニオイがしたら、食べる気になれるだろうか?

 私も以前、前さんと同じようなことを言っていた時代があったが、実際に住んでみて空気の大切さを実感し、「涼温換気」にたどり着いたのだ。

 生活者は、常につくる側が期待するように生活するとは限らない。
 たとえば、育ち盛りの娘が3人いると、食事と入浴とドライヤーの熱で3度、人体の発熱で1度、湿度は30%も上昇する。断熱強化は、それだけの熱と湿気を不快に感じさせるのには間違いなく役立つが、快適にするのにはほとんど役立たない。
 くりかえしになるが、前さんが不要と決めつける「対流」、言い換えるとエアコンと換気が絶対に必要なのだ。

 更年期のような時期はとくにそうだ。快適に満足と言った数秒後には、理由もなく温度・湿度感覚が変調を起こし「あつい,あつい!」を連発し、ちょっとしたニオイにいら立ったりする。
 冬は、一人だけ冷え性を訴える。
 そんなのは特殊事情だと言ってしまうと、工務店の経営が成り立たなくなってしまう。学者や評論家・建築家と違って、工務店はすべてのお客様とそのご家族の満足に奉仕するのが仕事なのだから。更年期も、お客様の大事な一時期と考えて対応しなければならない。

 どんなに高断熱の家を造ったとしても、それだけでは、前 准教授が想像するように、生活者が「体も心もリラックスしたまま、ずっと居続けたい」と願う状態は長続きしないと私は断言できる。

 家づくりの真実はこうだ。「温熱」を制したからといって「住み心地」が良くなるとは限らない。言い換えれば、「換気」と「冷暖房」の組み合わせなくして住み心地の良い家は造れないのだ。
 しかしながら、この本が換気に触れているのは終りに近いところのたったの4行だけ。驚いたことに、すでにヨーロッパでは非常識とされる第三種換気を容認している。

 私は質問したい。
 第三種換気では、<こうした高断熱住宅が実現する温熱環境にいると「暖かい」も「涼しい」も感じることがなくなります。>は、ウソになりませんか?
 夏には高温多湿な空気、冬には低温で乾燥した空気がどんどん吸い込まれ、室内の快適さは失われていきませんか?

 この本を読み終わって、つくづく思ったことは、住み心地について正直に、的確に語れる人は極めて少ないということだ。
 住み心地について語るには、実際に3年以上住んで、住み心地を保証する家を100棟以上造って、3年以上フォローし続けたという実証が必要なのである。
 「換気」の良し悪し、すなわち空気の質感は「住む」体験によってしか語れないし、語ってはならないものだ。学者や建築家のほとんどは、数時間の訪問で安易に語る。
 住む人の幸せを心から願う立場では、この本を「あたらしい家づくりの教科書」とはとても認め難い。題名を「参考書」に変えてはいかがか。

 この教科書には、まだまだウソに近いようなところがあるのだが、それは次回にしたい。

                       松井 修三

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