ii-ie.com「いい家」をつくる会

「いい家」をつくる会
コラム

20128321時53分

「涼温換気SA‐SHEの家」の住み心地

快適にパーフェクトはない。もしあるとすれば、パーフェクトであることが不快になるはずだ。

だから、本物の快適は無意識なのだ。ときおり、ちょっと寒い、暑いと意識するのは、香辛料を上手に使った料理のようなもので快適度を増すのに役立つ。

温度・湿度・においについて無意識である状態は、実に気持ちがいい。「涼温換気」は、その気持ちのよさをもたらしてくれる。


ちょっと暑い・寒いからとエアコンを使ったとする。風が吹き出てきた瞬間に意識は働き、感性が目覚める。気持ちよく感じるのはほんのつかの間であり、冷風・温風に我慢を強いられる。そこに吹き出し音が加わると一挙にストレスが増す。


温泉は大好きだ。しかし、行くのは気が引けてならなくなった。

旅館の夜は、エアコンによる不快さとの戦いとなると想像できるからだ。止めれば暑くなるし寒くなる。窓を開けたままでは防犯が心配だ。

涼温換気の家で10日過ごすと、温泉に行く気になれなくなってしまう。

別荘に行くのも億劫になる。

こんなに出不精になってしまっていいのだろうかと、真剣に自問自答を繰り返す。言い換えれば、こんな快適な環境に身を浸していて何か問題にならないのかと心配したくなるのだ。それほど、涼温換気は気持ちいい。

あくまでも、私にとってはである。

この世に、いまのところこの家に住んでいる家族は、たったの二軒である。

もう一軒に住む社長一家も絶賛している。だからといって、我々の住み心地についての証言は、あまりにも客観性に乏しい。


しかし、哲学者・桑子敏雄氏は、「感性哲学2」(東信堂)にこのようなことを書かれている。

<「住む」ということは「引っ越して暮らす」という行為であるとともに、一定の空間に身を置いて心のあり方を空間と一体化するということでもある。つまり、たんなる一回的な行為ではなく、持続的状態を選択する行為であるということである。したがって、「住む」体験によって得られるものは、「通う体験」や「訪れる体験」とは本質的に異なるものを含んでいる。住む体験のもとに語られることばは、通うひとや訪れるひとによって語りえないものである。>


この観点から、「住む体験のもとに語られることば」として、二家族の証言は十分価値があると自負している。

今月20日過ぎには、久保田紀子さんも証言者に加わる予定である。来年の今頃には、証言は優に100を超えると想定される。


「涼温換気」については、http://ii-ie.com/sashe.htmlをご覧ください。


松井 修三

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