これぞ「老いの才覚」
曽野綾子さんの『老いの才覚』(ベスト新書)が売れている。
だれしも健康で長生きをしたいと願う。しかし、多くの人は80歳を過ぎるころには連れ合いを失っていて、友人知己も死んでしまい、健康を損ない、まわりに集う人が年々減っていってしまう。毎日が、孤独の責め苦にさいなまされる。曽野さんは言う。
「人間の過程の一つとして、老年は孤独と徹底して付き合って死ぬことになっているのだ、と考えたほうがいいのではないか」と。さらにこうも言う。
「私は、孤独と絶望こそ、人生の最後に充分味わうべき境地なのだと思う時があります。
この二つの究極の感情を体験しない人は、たぶん人間として完成しない。孤独と絶望は、勇気ある老人に対して最後にもう一段階、立派な人間になって来いよと言われるに等しい、神の贈り物なのだと思います」。
もはや死に行くしかないという絶望と戦うのに、孤独を覚悟せよとはあまりにもむごい求めではなかろうか。
私には、そのようなむごさに耐える勇気がない。だから、終の棲家としての「いい家」を建てるのだ。
50歳を過ぎたら60歳以後の自分の生活と家との関係を徹底して検討することだ。そして 70歳を過ぎたら覚悟を決めたいことがある。それは曽野さんも教えてくれているのだが、自立して生きることだ。掃除(風呂・トイレも)・洗濯・片付け・ゴミ捨て・犬の散歩・料理もすべて一人でやる。
奥さんがいる場合は、週に二日は一切の手助けを受けないで自分一人でやるのだ。私は、常々お客様にも言い続けているのだが、死ぬ三日前まで、自立してトイレに行くという、強烈な、揺るぎない、意固地なまでの覚悟を持つことが大切だと思う。
それらを実践するのに「いい家」即ち、住み心地の良い家ほど楽なものはない。暖かくて、涼しくて、空気が気持ち良くて、いつも気持ちがハイになるのだから。
その家には、孤独を癒し、楽しませる力が宿っている。ところが、その反対に寒くて、暑くて、かび臭くて、陰気くさい家がある。そんな家に住んでいると、気持ちが暗くなり、愚痴が増え、笑顔が消え、病気がちになってしまう。
「いい家」に住む人にとっては、住み心地こそが最高の「神の贈り物」。老後頼れるいちばん確かなものであり、生きる喜び、楽しさの源泉だ。そんな家に住んで、いい表情をしている親のところには、子供や孫たちが心置きなく寄ってくるものだ。いや、遠く離れていようとも、安心を覚えるに違いない。そしていつの日か、おじいちゃん、おばあちゃんが心から気に入っていた家を相続したいと願うだろう。子供や孫たちに、そう願わせることこそが、最高の「老いの才覚」ではなかろうか、と私は思うのだ。
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- 松井 修三 プロフィール
- 1939年神奈川県厚木市に生まれる。
- 1961年中央大学法律学科卒。
- 1972年マツミハウジング株式会社創業。
- 「住いとは幸せの器である。住む人の幸せを心から願える者でなければ住い造りに携わってはならない」という信条のもとに、木造軸組による注文住宅造りに専念。
- 2000年1月28日、朝日新聞「天声人語」に外断熱しかやらない工務店主として取り上げられた。
- 現在マツミハウジング(株)相談役
- 著書新「いい家」が欲しい。(創英社/三省堂書店)「涼温な家」(創英社/三省堂書店)「家に何を求めるのか」(創英社/三省堂書店)