海外視察旅行記
世界に誇れる、
住み心地いちばんの家を目指して
2007年8月オランダ編
ヨーロッパ建築を訪ねて(オランダ)
オランダ住宅視察−1
KeesDuijvestein先生
オランダのアムステルダムは朝晩の冷えが10度前後に下がりつつある。
まだ紅葉には早いが、多くの木々がその準備を始めているように見える。
「サステナブル理論」の権威であるデルフト工科大学のダイヴェステイン教授(KeesDuijvestein)のプライベートレッスンを受けることができた。

(先生の部屋で。広角レンズの効果で先生が大きく撮れている。でも、オランダ人は背の高い人が多い)
3000戸の住宅をこの場所に建てる計画です。
最初に企画されるべきことは、いかなるものであるべきでしょうか?
教授の質問が飛ぶ。
景観が最初にあって、その後に目指すべきは上質な住み心地の実現です。
「グッド。しかし、住み心地はサステナブルの一部でしかありません」
そんな調子でレッスンは進んでいくのだが、少しでも疲れた様子を見て取られるとすかさずにコーヒーがビスケットとともに運ばれる。
それがおいしくて、二時間の講義はあっという間に終わった。
ちなみに、積水ハウスはこんな看板を現場に高らかに掲げている。
積水ハウスのサステナブル宣言
持続可能な社会と企業を経営するサステナブル宣言をする。
2010年までにお客様とともに住まいの二酸化炭素炭素排出量を20%削減する。
全新築住宅で高効率給湯器を標準採用
太陽光発電システムも積極展開。
光熱費削減コンサルティングの展開
私が急遽オランダを訪ねることにしたのは、96才になる母の介護をしてくださっているYさんとの会話がきっかけだった。Yさんには二人の娘さんがいて、次女がオランダで観光案内の仕事をしていると聞いた。
その瞬間に、直感が働いた。
その娘さんとコンタクトを取ると、私が模索しているこれからのマツミの方向性を掴むきっかけが得られると。
それからは、いい縁が連続してドイツのフラウンホーファー建築物理研究所訪問も実現することになった。そこで久保田紀子さんに同行をお願いし成田を発った。


デルフト工科大学の図書館。上の写真は側面から、下は玄関側から撮影した。
オランダ住宅視察−2


世界遺産を二つ見に出かけた。
一つは、ユトレヒトにあるシュレーダー邸で、リートフェルトの作品だ。
もう一つは、キンデルダイクの風車小屋群である。
シュレーダー邸についての感想は後日書くことにして、まずは風車小屋を見て思ったこと、感じたことを書いてみたい。

私たちは、そこでコックという人に出会うことになり、彼から直接風車小屋にまつわる数々の話を聞くことができた。
彼は、NHKテレビの世界遺産シリーズで取り上げられているという。
風車は木造レンガ積みで、構造材はフランスから運んできた樫の木だそうだ。回転軸には、高さが10メートルぐらいで二抱えもある巨木が用いられていている。
風車小屋はどこから眺めて絵になって、のどかな田園風景の象徴のように見える。
しかし、かつてはそこで家族が暮らしながら風車の維持管理をしていた。
冬になると川は凍って、吹きすさぶ冷風は容赦なく小屋を攻め立てたことだろう。
調理台はストーブのように薪を燃して熱源とする。その余熱で夜中の温度を維持することはとても不可能だ。薪をくべ過ぎて寝入ってしまい、火事になった小屋もあるとのこと。
トイレは外にある。真冬の夜中、用足しに出るには相当な覚悟が必要だ。そこで、ベッドの奥には尿瓶の置き場がある。
私は、コックさんに見習ってベッドに寝かせてもらった。子供用の二段ベッドの上段のようで、体を真っ直ぐにすることも、夫婦が互いに寝返りを打つことも難しいほどの狭さだ。足元の棚の上は、赤ちゃんのベッドになっていて、その下の奥まった所に尿瓶置き場があった。しばらく目をつむって、小屋守りの暮らしを想像した。
司馬遼太郎の「オランダ紀行」の一節を思い出しながら。
この国のひとびとは、堤防をつくって内側の土地を干拓し、干拓地に運河を掘って地面を乾かし、さらに運河の水を排水するポンプの動力として風車を利用してきた。この国を歩いているかぎり、私どもが見、ふれている地面はことごとく過去のオランダ人がつくったものである。

オランダは海抜がプラスの数字になるところはほんのわずかな面積しかなく、ほとんどはマイナスである。低いところでは海面より4.5メートルも下がっているそうだ。
だから、オランダの人々にとって19世紀までは、風車群は必死の産物であり、命を賭けた風景であったと思われる。
「ここにある家具だがね」
と、コックさんは隅に置いてあったテーブルを引き出した。
「家具の材料を虫が食っていることがあるんだよ。ほら、表面に小さな穴がたくさんある。この虫が、構造材に移り住んでしまうと厄介なことになるんだ。
ほら、あそこの梁の隅を見てごらん。あんなにやられてしまっている」
維持管理で一番厄介な問題は、木を侵食する虫であるとは考えさせられることだった。
マツミノ家でも同じようなことが数件起きているからだ。
東南アジアで作られた家具は特に注意が必要だ。
コックさんは、小屋の構造をホゾ、仕口で組んでいることを盛んに自慢した。
「あなたは、どのように作っているか?」と質問する。
日本の家も同じように作られていると答えると、すかさず質問してきた。
「木は、何を使っているか?」と。
コックさんにはヒノキがどのような材なのか理解できない。
彼は、ついてこいと外に出た。
「この小屋は、私の宝物でいっぱいだ」と説明しながら、数本の木材を取り出して言う。
「このような堅い材で、木目がこうでなければダメだ。節がこんな具合にあるものもダメ」と、熱弁は尽きなかった。

実は、後から知ったことなのだが、コックさんとの出会いは母の看護をして下さっているYさんの娘、吉川麻里子さんの計らいだった。
麻里子さんは、普段からコックさんとの付き合いを大切にしている。風車小屋の入り口の壁に、風車群の維持管理に役立てようと寄付金箱が取り付けてある。
それは麻里子さんが手作りしたものだそうだ。
土手の上を自転車に乗って偶然のようにコックさんは現れた。近づいてくる自転車に向かって麻里子さんが駆け寄る。
「コックさん、来てくれてありがとう!」
彼女は、小躍りして喜ぶ。その姿を見ていると、親元を離れて7年間、異国でひたむきに仕事に取り組んできた様子がよくわかる。
観光案内のサービスの一つと言ってしまえばそれまでのことだが、お客様になんとしても喜んでもらおう、満足してもらおうとする心意気に胸打たれる思いがした。
オランダ視察旅行は、私の意向を汲んで吉川麻里子さんがすべて組んでくれた。
住宅視察旅行としては、実に内容が豊富で、毎日がエキサイティングであり、かって体験したことがない最高レベルのものになっている。
明日は、午前中にアーメルスフォールトの「ソーラーパワーの家」を見学し、午後からユトレヒト大学の建物を視察する予定だ。
オランダ住宅視察−3

午前中、アーメルスフォールトにあるソーラーパワー住宅団地「ニューランド」を見学。1980年代後半に、市は五千軒の住宅団地を建てることを決定したそうだ。
基本方針はサステナブルの実現にあり、しかも、それまでの住宅よりも価格を安く抑えるというものだった。それにも拘らず、全戸に太陽光発電を採用することが求められていた。プロジェクトに参加した不動産業者をはじめ、設計士、建築会社は、サステナブルよりも自分たちの利益を確保することを期待した。
そこで市は、サステナブル社会の実現を提唱するデルフト工科大学のダイヴェスティン教授を招き、プロジェクトの総合指揮を依頼した。教授が何よりも大切に考え努力したことは、仕事に携わる人たちの意識改革、すなわち、サステナブルの考えを理解させることだったという。
当時は、批判的で、目先の利益に走ろうとする人たちが多かった。
教授は、四年近くもかけて意識改革の徹底化を図った。それなくしては、プロジェクトの成功はないと。
我々は、ダイヴェスティン教授から相対でレッスンを受けてきたばかりなので、感じるところが大いにあった。説明をしてくれたのは、ビタ・ヨンガーさんといって、サステナブル研究者の一人である。
プロジェクターを用いながら、計画の細部にわたって話してくれた。
「大切なことは、将来の子供たちに、私たちが何を知っていたかではなく、何をしたのかを明確に答えることなのです。
コンピュータシュミレーションで一〇〇年後の状況を熟知しながら、ただ温暖化を憂え、環境共生を唱え、省エネに励みつつ、していることは経済的レースの勝者となることであってはなりません。
より快適な暮らしを求めることだけでもならないのです」
「少し、厳しい言い方かもしれませんが」と、ヨンガーさんは付け加えた。
最後の言葉は、まるで私に向けられているかのように思えた。
1時間半ほどをかけたレクチャーが終わってから、団地の中を見て歩いた。すでに住んでいる人の家も案内してくれた。

すべての家に太陽光発電が設置されている。屋根一体型や壁面利用、ひさし取り付けなど、様々な工夫がされている。
道路には、発電状態をリアルタイムで表示する装置があり、住人は散歩や買い物のついでに、団地全体の発電量と消費電力を確認できる。
家の中には、パソコンの画面上で、数秒単位で変化する電力状態をモニターできるようになっている。昨日は、今日は、一年間では、といったことがマウスの簡単な操作で家族全員が確認できる。どこの窓が開いているかも分かる。
サステナブル、すなわち、持続可能な社会での生活について、住人たちは誇りを持って楽しんでいるように見えた。

午後からは、アルペンアンデラインへ移動し、エコロニア計画で造られた一〇〇軒の団地を視察した。一九九〇年、オランダ政府は、サステナブルにより一層合致する省エネの方法、内装の質、建築資材、そして健康に配慮した家を建てる計画を立てた。選抜された九人の建築家たちに断熱、暖房、換気、屋根緑化などそれぞれの方法についてアイディアとデザインを競い合わせ、当時の先進の技術とアイディアをふんだんに盛り込んだ。

総合監督をさけたのは、ダイヴェスティン教授の右腕とも言われているデルフト工科大学客員教授であるヘルデ・フィリス先生だ。その方が自ら小雨降る寒い中、失敗談を交えながら親切丁寧に案内してくださった。
今では日本でも当たり前に実践されていることなのだが、当時は画期的で、斬新であったことは間違いない。ちなみに、二つの団地とも、寿命は五〇年を目処に企画されたという。
日本では、「二〇〇年住宅」という提案があるという私の話に、フィリス先生はただ肩をすぼめて、「おー」と感嘆詞を発したのが印象的だった。
この視察旅行で、私はオランダの家づくりの奥行きの深さを痛感した。国土の90%以上は海抜ゼロメートル以下だというのに、最先端の家づくりのレベルはため息が出るほど高かった。
通称「ダッチデザイン」として有名な現代建築の数々にも感動させられた。